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2011年1月25日火曜日

1月25日は何の日 門松の竹に八つ当たりをしたのか? 浜松

今日は水戸黄門でおなじみの渥美格之進(格さん)のモデルとなった安積澹泊の命日です。

1573年(元亀3年12月22日)の今日、上洛しようとする武田信玄の軍勢2万7千人と、それを阻止しようとした徳川家康の軍勢1万1千人(うち織田信長からの援軍3千人)が遠江国敷知郡の三方ヶ原で激突します。世に言う三方ヶ原の戦いがあった日です。●死去のところに亡くなった武将がたくさんあげられているのは、この戦いのためです。2時間戦ったあとに、家康が浜松城に逃げ帰って「おもらし」をしていた話や犀ヶ崖で戦いなどのエピソード満載の戦いです。詳しいことはウィキペディアなどを御覧ください。その記事で知ったのですが、この戦いのためにお正月に建てる門松の竹の先端部の形状が斜めに
なったという説があるのをはじめて知りました。門松には、この斜めに切った「そぎ」と真横に切った「寸胴(ずんどう)」の2種類があります。この 「そぎ」という形は、三方ヶ原の戦いの後に家康が、竹を武田に見立てて、次は武田家を斬るぞという念を込めて切ったのが始まりという説があるそうです。なんか、家康が八つ当たりしたようにしか思えません。これとは逆に、この戦い以後、武田信玄に心酔するようになったとも言われているそうです。武田家滅亡時にその配下を自分の部下にしているのもそのためとか。

地図の方で、浜松の三方ヶ原の戦いなどの伝承の地点をいくつか掲載していますので行かれたときにご利用ください。あと地図に掲載した平手神社の取り壊し理由などご存知の方いらっしゃいましたら教えてください。

●三方ヶ原の戦いと徳川家康関連史跡(浜松)

より大きな地図で 三方ヶ原の戦いと徳川家康関連周辺史跡110125 を表示
掲載した史跡など:三方ヶ原古戦場碑、本多肥後守忠真の碑、夏目次郎左衛門吉信の碑、犀ヶ崖古戦場の碑、犀ヶ崖、犀ヶ崖資料館、雲立の楠(浜松八幡宮)、浜松城、椿姫観音、曳馬城跡の石碑(東照宮)、鎧掛松、三方ヶ原戦死者の墓(宗源院)、築山御前の廟(西来院)、普済寺、太刀洗の池、小豆餅、平手神社(注意)
参考サイト:浜松城公式サイト

●出来事(史実)
805年(延暦23年12月21日)牛を屠殺し、牛皮を用いることを禁ずる
1026年(万寿3年1月4日)藤原公任、出家
1090年(寛治3年12月22日)白河上皇、近江国・彦根山西寺に行く
1142年(永治元年12月27日)近衛天皇、3歳で即位
1142年(永治元年12月27日)鳥羽上皇、中宮璋子が皇太后となり、女御・藤原得子が皇后となる
1199年(建久9年12月27日)源頼朝、相模川にかけられた橋の新造供養に出席した帰りに落馬する
1362年(正平16(南);康安1(北)年12月29日)足利義詮、再び入京する
1551年(天文19年12月19日)島津貴久、鹿児島の内城に入る
1573年(元亀3年12月22日)武田信玄、徳川家康と三方ヶ原で戦う(三方ヶ原の戦い)
1585年(天正12年12月25日)越中富山城主・佐々成政、標高2348mのザラ峠(アルプス)を越えて浜松城に到着して徳川家康を訪れる
1660年(万治2年12月13日)両国橋が完成。武蔵と下総を結び江戸の市域が江東に広がる
1670年(寛文9年12月4日)庄内藩、領内の通用枡を京枡と決める
1683年(天和2年12月28日)駒込・大円寺から出火、江戸市中の広範囲が焼失(お七火事)
1688年(貞享4年12月23日)江戸幕府、捨て馬をした者を遠流とする令を出す(生類憐みの令)
1739年(元文3年12月16日)但馬国・生野銀山で打壊し
1809年(文化5年12月10日)酒井忠進、京都所司代に任ぜられる
1824年(文政6年12月25日)江戸で大火
1854年(嘉永6年12月27日)吉田松陰、ロシア船への乗船が果たせず江戸に戻る
1879年(明治12年1月25日)大阪の朝日新聞社、『朝日新聞』創刊
1880年(明治13年1月25日)福澤諭吉を中心に慶應義塾出身者、交詢社の発会式
1882年(明治15年1月25日)井上馨外務卿、議長として第1回各国連合予議会を開催
1901年(明治34年1月25日)宮武外骨、『滑稽新聞』を創刊
1901年(明治34年1月25日)福澤諭吉の脳卒中が再発
1902年(明治35年1月25日)北海道旭川市で最低気温マイナス41℃を観測(日本に於ける公式の最低気温の記録)
1904年(明治37年1月25日)鉄道軍事供用令が公布される
1905年(明治38年1月25日)陸軍、黒溝台付近でロシア軍の大規模な反攻を撃退(日露戦争・黒溝台会戦)
1908年(明治41年1月25日)外務省、ハワイ移民の停止を移民会社に通告
1909年(明治42年1月25日)秋田で小坂鉄道が設立
1911年(明治44年1月25日)管野スガ、大逆事件で処刑される

●誕生
1837年(天保7年12月19日)富岡鉄斎、画家、儒学者
1860年(安政7年1月3日)加藤高明、政治家・第二十四代内閣総理大臣
1860年(安政7年1月3日)八代六郎、海軍軍人
1885年(明治18年1月25日)北原白秋、詩人・歌人・童謡作家
1893年(明治26年1月25日)百田宗治、詩人、児童文学作家
1894年(明治27年1月25日)千葉三郎、政治家
1900年(明治33年1月25日)石坂洋次郎、作家
1902年(明治35年1月25日)中野重治、小説家・評論家・詩人
1902年(明治35年1月25日)西川寧、書家
1903年(明治36年1月25日)金子文子、アナキスト
1907年(明治40年1月25日)火野葦平、小説家
1907年(明治40年1月25日)中野四郎、政治家
1911年(明治44年1月25日)メイ牛山、美容家

●死去
536年((安閑)2年12月17日)安閑天皇、第二十七代天皇
1019年(寛仁2年12月17日)敦康親王、平安時代の皇族
1214年(建保元年12月13日)平徳子(建礼門院徳子)、平清盛の娘・安徳天皇の母
1573年(元亀3年12月22日)鳥居忠広、戦国武将
1573年(元亀3年12月22日)平手汎秀、戦国武将
1573年(元亀3年12月22日)佐脇良之、戦国武将
1573年(元亀3年12月22日)鈴木久三郎、戦国武将
1573年(元亀3年12月22日)夏目吉信、戦国武将
1573年(元亀3年12月22日)成瀬正義、戦国武将
1738年(元文2年12月6日)安積澹泊 朱子学者・水戸彰考館総裁。
1798年(寛政9年12月9日)立花鑑通、第七代柳河藩主
1821年(文政3年12月22日)本多利明、経世家
1870年(明治2年12月24日)田沼意尊、江戸幕府若年寄・相良藩主・小久保藩主
1891年(明治24年1月25日)小笠原長行、江戸幕府老中
1911年(明治44年1月25日)管野スガ、政治運動家

●参考サイト:
ウィキペディア
歴史データベースon the web 
今日は何の日?カレンダー
有名人誕生日検索&今日は何の日
また記事中および地図でリンクしたサイトを参考とさせていただいてます。

※日時は原則として1582年までユリウス暦、以後はグレゴリオ暦に換算しています。
換算などには以下のサイトを参考にしています。
【換暦】暦変換ツール

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